1月も5日目に突入した大遅刻ぶりだけど、何事にも遅すぎるということはない、やらないよりやった方がいい、という先人たちの言葉を胸に、2025年を振り返ろうと思う。
(と書き出してから色々直しているうちに6日になってしまった)
記録を残さなかった日のことは簡単に忘れてしまうなあというのが怖くなり、1カ月で一番印象に残った出来事を書いていこうと思う。仕事以外の記憶がない月もあるけれど、それもそういう月だったということで。
1月
福岡への出張があった。前日に仕事を終えてから前乗りで福岡に向かったまではよかったけど、ありえんほどの暴風。ホテルが海沿いだったのもあってか、太刀打ちできない。
最寄りのバス停を降りてからホテルまで徒歩30秒とかなのに、命の危機を感じるほどの向かい風で一向に前に進めない。5分はかかった。一昔前のバラエティにあった巨大扇風機に立ち向かう芸人の気持ちだった。
翌日、上司(めっちゃ偉い人)からおすすめの角打ちのお店と日本酒を教えてもらって、ちょっと早上がりして角打ちに寄って帰阪した。一人で未開拓のお店に入るのは苦手だったけど、お酒はもちろん料理も居心地もよくて、お店の人とも隣の人とも打ち解けて、「うわ~~~大阪帰りたくないぃ」を連呼しながら新幹線の終電ギリまで居座って帰った。家族と親族へのお土産を2分で選んだ。
2月
経緯は省くが、色々あって人生で初めて推しになった人と東京観光をした。
好きになったのは22年前。私はまだランドセルを背負っていた。当時はファンだとか好きな人的な言い方で、推しという概念が世間的になかった頃だ。
好きだったバンドのベースの人。ブログやラジオでのトークが好きで、演奏のことはわからなかったけど、その人となりが好きだった。跳ぶようにベースを弾く姿も好きだった。
自分が中学生になり、初めてそのバンドのライブに行く許可が下りた。やっと推しに会える!と喜び勇んで汗ばむ手で受話器を握りチケットを取った(当時はぴあに電話をかけていた頃だ)その夜、推しの脱退が発表された。
それきり、推しの動向は追っていたものの、生身のその人にあったことはなかった。喋りとブログ。それだけ追って22年。
推しの運転で助手席に座って会話したり、推しが運転しながら流す音源を聴いたり。降り立った場所を一緒に散策してもらったり。推しに対しての恋愛感情があるわけでは全くないが、こんな疑似デートのような機会は二度とないだろうなと思った。
余談だが、彼との観光散策中、当時のバンドのギターからLINEが来るというミラクルもあった。全部に祝福されとる、とおもった。
生きてるとこんないいことがあるんだなあ、と夢見心地な一方で、当時彼を好きだった気持ちと大人になって積み上げた価値観は異なることにも気が付いた。好きなところは変わらず好きだけど、大人になって、時代も変わって、好きな人の全てを肯定することはできないなと思った。
そんな考え方をするようになったところに、自分が大人になったのを感じたし、その考えにたどりついた自分の生き方は嫌いではないと思った。
多少の共感できないところには目を瞑りながら、今もゆるっと彼を推している。
3月
記憶がない。2~3人分の仕事ができる上司が一人でやっていた仕事を引き受けている期間で、かなり残業していた。
現職の前まではどの職場も残業代が出ないカスの会社だったので、残業代がちゃんと出るだけで人間として存在している気になっていた。見たことない手取りだった。手取り額だけこの時に戻りたい。
4月
記憶がない。
グループ会社からの出向者を短期で受け入れることになり、仕事を教えていたものの、自分より20近く年上の人が1から10全部説明と指示がないと動けない人(×2名)だった。
その人がミスをすると、指示不足のアナタが悪いですみたいな感じで当たられてしまい、今思うと理不尽だった。理不尽だと肚落ちする前に業務量だとかプレッシャーだとかで色々メンタルが限界で、職場で泣いた覚えがある。
三十路がこんなことで何泣いてるんやろと思いながらも、限界な時はそんなことで涙のブレーキはかからないのだった。
5月
酒は強い方だという自負が崩れ落ちた。
友だちと公園飲みと称して缶の酒を2,3本飲んだ後、飲み足りんよなと近くの王将に入った。記憶を失い、いつ会計したのかどうやって帰りの電車に乗ったのかも覚えていないまま、目を覚ますと駅の便器に顔をつっこんでいてこわかった。
この月の後半で、仕事ができすぎる上司が復職した。それにより、残業がなくなった。自由を得た代わりに、手取りがいっきに寂しくなった。なのに、頑張っているからご褒美とかいうザルの金銭感覚は健在なのだった。
てか、王将の酒ってバリつよない? ここには記さないけど、4カ月後にもそれを体感することになる。
6月
福岡で推しのライブ。ライブは土曜のみだったので、せっかくだから日曜に九州のどこかに行きたい!!と思った結果、長崎ハウステンボスに。EXILEの推しが長崎出身で、少し前に推しがバラエティでハウステンボスでロケをしていたのだった。
ミッフィーエリアの開業から二日目だったので、激混みかもな~と思ったら全然過ごしやすすぎてびっくりした。
イルミネーションの時間まではいられなかったけど、街並みや空気感だけで十分元が取れたし、観覧車にも乗った。ひとりで。近年のソロ活浸透具合を見るに、まあ恥ずかしいことでもないっしょ、と思って観覧車に進んだら、後ろに並んでいた少年の目が明らかに珍しいものを見る目だった。少年、観覧車に乗るのは、家族かデートだけじゃないんだぜ。
ハウステンボスのオランダチックな街並みと、風車に花畑、そして海が見渡せる景色は、雨が強まる中でも絶景だった。
あと、ミッフィーちゃんにメロメロになった。(小雨でパレード中止だったのが心残り。代わりのグリーティング撮影会がめちゃめちゃかわいかった)
7月
月末、推しの恐喝容疑による書類送検報道。
その日は仕事の雑用で、職場の他フロアにサーキュレーターを設置するというミッションがあった。サーキュレーターを運搬するべくエレベーターを待っている間、スマホをチラ見して知った。そこから露骨に動揺して、頭まっしろでサーキュレーターを組み立てて、説明書の文字もパーツも見えてるのに頭に入ってこない…という絵にかいたような魂の抜け具合だった。
正直仕事が手につかなかったので早退しようかと思ったけど(ありがたいことに急に有給をとっても許される職場なので)、上司に推しを公言しているだけに憚られた。
後日、上司からちゃっかり心配されていて、普通に休んだ方が会社の方のためだったかもと反省した。
8月
趣味のイベントに向けた締め切りに追われていた。いつも作業から締め切りまで2-3カ月あるのに、なぜか実作業2-3日でやり遂げざるを得ない状況と実績を作ってしまい、先が思いやられた。
このころから紙の日記をつけはじめる。いつも日記は長続きしないけど、こころの声を垂れ流し状態にして書くと案外続いた。
紙の日記はとにかく自由で、普通のA5ノートにただ書いていくだけ。フォーマットも、書かないといけない事項とかも設けず、とりあえずなんか書くだけでOKというゆるゆるの形式がよかったのかもしれない。
これまで「こう書くべき」「こうあるべき」にとらわれすぎて、それが達成できない日が一定数つづくと諦めてしまう…というパターンがあることにようやく気が付けた瞬間でもある。
これを機に意識できたのは、とにかく自分が楽な形で続けられる最低限のハードルに設定することと、そのための動線を整えておくという二つだ。(日記なら、ペンは目につくところに出しておくとか)
できる人はこういうことも無自覚か、もっと人生の早い段階で会得しているんだろうなあと思う。それはそれとして、「書き出す」という行為がある程度日常に定着したのは、この一年で大きな出来事だったと思う。
9月
PCを買い替えた。そこから先は、このブログにログがある。週1ペースだけれども。
紙の日記、このブログ、あと今年読んだ本の好きだった文章を転記するという読書記録をつけつつ、趣味の創作をしつつ、再燃した推しジャンルの過去作を見返しつつ…と趣味方面に多忙な生活を送っていた。今まで忙しいと思っていたのはなんだったのか?
この月は推しの武道館公演のため東京遠征。
推しを同じくするフォロワーと、翌日ディズニーシーへ行った。ディズニーなんて、それこそ小学生ぶりに行った。舞浜から電車に乗ったときはハリボテっぽい裏側だとか消火栓だとかいろいろな大人の事情が目について、子どものようなはしゃぎ方ができない自分に嫌気がさしていたが、ディズニーシーのデカい地球儀に出迎えられ、耳カチューシャとミッキー型のグラサン(ディズニーの外で使える場所がない)を買ってからというもの、ただただ子ども心に帰った。ラプンツェルのファストパスに課金したときだけは大人を振りかざしたけど。
そんなわけで、ピーターパンのアトラクションの最後の台詞が刺さらないわけがなかった。
「いつまでも子どものままでいてね!」
ストレートに泣いた。ヒュ、と息が止まって、喉と頭の奥にこみ上げてきた。
アトラクションを降りた後も、「あのセリフがやばくて、『いつまでも子どもの…』」とフォロワーに伝えようとした言葉がもう感極まって言葉が詰まってだめだった。
このフォロワーとは8年近くの付き合いだけど、これまで己が泣いた姿を見せたのは父親が死んで1か月後に参戦したEXILE THE SECONDのホールライブで、1曲目の瞬間エターナルを聴いたときだけだ。(知らんがな)
いつまでも子どものままでいてね、その言葉に泣いてしまうのは、子どものままでいられなくなってしまった大人の自分を強く自覚したからのような気もするし、もう戻らない子どもだったころに泣いているのかもしれない。心持だけはずっと子どものくせに。
10月
このブログの通りで、ジョギングを始めてそれに夢中になった。
少しずつ距離が伸ばせるのが楽しい。本を読むのも楽しい。読書記録をつけるのも楽しい。日記も楽しい。見れなかった映像系コンテンツも、なんか見れる。ブログは週1~10日ペースだったけど、自分を満たしつつ生きている証も残しているような気持ちで、ささやかなことにも幸せを感じるようになった。これだけ見ると、"氣"とかにハマる人のようだがそんなことはない。今までがドーパミン中心すぎただけで。多分。
出来事として一番印象に残ったのは推しのスタジアムライブだけど、それはブログで長々と書いたので割愛。最近そのライブの円盤が出て、構成が神だった(語彙がないオタクのヤツ)。
11月
20年来の推しと初めて1対1で話せた。
2月で東京観光をしてくれた推しと同じグループで活動をしていたボーカルの人で、すでに10年以上前にバンドを解散して現役を退き、裏方に回っていた。
今回久々に表に出る機会があると聞いて、名古屋まで遠征した。節制したい時期だったけど、もうこんな機会、二度とないかもしれないと思って。
歌声を聴くだけで、ともすれば本番前の音響チェックの段階からぼろ泣きだった。
大好きだった。青春だった。まだ自我というものが不安定で、中学の頃のいじめだとか、就活が決まらないだとか、人生一生どん底で暗闇だと思っていた時期、ずっと聴いて支えにしていた柔らかく優しく、けれど力強い歌声が、自分の足で歩くように背中を押してくれる歌が、もう一度目の前で聴けるとは。
終焉後、物販。グループが現役のころ、物販にご本人がいることはなかったので、文字通り頭が真っ白なまま話しかけた。メディアの向こうのひと、ステージの向こうの人だとずっと思っていたので、話せることが信じられなかった。
(それまでに武道館やドームに立った推しとのミーグリなどは多々経験しているが、あまりにも特別すぎて)
人生のお礼。今日歌ってくださってありがとうございますという感謝。今日の選曲のテーマが自分にも重なって涙が止まらなったこと。叶うなら大阪でもまた歌ってくださいということ(そのグループはもともと大阪で結成されていた)。一度口を開くと、厚かましいお願いまでなんぼでもでてくるなと思った。
挙動不審な早口オタクの上ずったしゃべりを、彼女は調子を合わせながら聴いてくれた。メディアで見ていたころよりも歳を重ねたお顔になっていて、けれどメディアで見ていたころよりも力強さと、包容力と、安定した芯のようなものを感じた。
ご本人もMCで大人になって当時より楽しいとおっしゃっていたし、傍から見ても素敵な年の重ね方をしているお顔つきだと思った。
私と彼女の歳は約一回り違う。今の私は、彼女が表舞台を退いた時と同じくらいの歳だ。
干支がもう1周した頃、彼女のような佇まいの人間になっていたいと思う。
12月
ただただ掃除をした休日だった。いつも年末の大掃除は、部屋の片づけを中途半端に散らしたまま、掃除までいかず、ごみの日も終わり、半端にゴミが積みあがった散らかった部屋で過ごすことがほとんどだった。ここ数年に関しては、連休だとここぞとばかりに映画やら遊ぶ予定やらを詰めすぎて、家のことをまったくやっていなかった。カスの実家暮らしだ。そらこどおばとか言われてもしゃあない。
今年は12月の第一週から部屋の断捨離、親父の遺品の断捨離なんかを地道に続けた。
年末の連休は、20年くらい手付かずのベランダ汚れを掃除したり、とにかく積年のツケを清算しようと必死だった。歴代の年末の中で、ようやくまともな掃除ができたと思う。
積年のツケを地道に掃除して思ったのは、日々の簡単な掃除を面倒くさがらずにやっておくべきということだった。塵も積もればヤマとなるし、ベランダのベージュの床は砂埃が踏み固められて真っ黒になる。
普段から掃き掃除をしろ。今年ならやれる気がする。
2月から始めた読書も、77冊くらいまでたどり着いて、読書習慣もまだ続いている。紙の日記も。
ちなみに10月半ばから続いているジョギングは、年末くらいからじわじわと膝を痛めてしまい休息している。走っている人たちを横目に、早く走りたいという気持ちと、持久力が失われていくんじゃないか、減った脂肪が正月でリバウンドしたんじゃないかと焦りが消えない。微妙に出鼻をくじかれながら、今年が始まる。
去年までとは違う一年になりそうな気もしていて、それが参考書を買う前にありがちな生まれ変われそうな気持ちだけで終わらないようにしたい。